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大阪地方裁判所 平成4年(ワ)8623号 判決

原告

西野伊佐美

被告

谷渕壽美

ほか一名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告に対し、各自二〇〇〇万円及びこれに対する平成三年八月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告の子である西野一臣(以下「一臣」という。)が自動二輪車を運転中、被告株式会社関西ビルド(以下「被告会社」という。)の所有し、被告谷渕壽美(以下「被告谷渕」という。)の運転する自動車と衝突して死亡したことから、原告が、被告谷渕に対しては民法七〇九条に基づき、また、被告会社に対しては自動車損害賠償保障法三条に基づき、損害賠償を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  一臣は、平成三年八月三日午前六時四〇分ころ、大阪府守口市大日町四丁目二九一番地先道路(東から西方向への一方通行で二車線の道路)上の左側車線を自動二輪車(以下「一臣車両」という。)を運転して走行中、右側車線から左側車線に進路を変更しようとしていた被告会社が所有し被告谷渕が運転する普通貨物自動車(大阪一一は八四七〇、以下「被告車両」という。)の左側面後方部と衝突し、転倒した(以下「本件事故」という。)。

2  一臣は、本件事故後の平成三年八月五日午前四時三七分ころ死亡した。

3  一臣死亡当時、原告は一臣の父親であつた(争いがない。)。

二  争点

1  被告谷渕の過失の有無

2  本件事故と一臣の死亡との因果関係

3  原告の損害

4  被告谷渕と一臣との過失相殺割合

第三当裁判所の判断

一  被告谷渕の過失について

甲第三号証、第四号証の二ないし四、一一、一二、一四、二三、二六及び被告谷渕本人尋問の結果によれば、本件事故は、右側車線を進行していた被告谷渕が、左側車線に進路を変更をするにあたり、進路変更後の前方に落ちていた鳩の死骸の轢過を避けることに気を取られて、自車左後方から進行してくる車両の有無及びその安全を確認するのを怠り、一臣車両に気付かないまま、時速約三〇キロメートルで左側車線に進路を変更したために生じたものであることが認められる。

二  本件事故と一臣の死亡との因果関係について

1  甲第三号証、第四号証の一、三、九、一〇、一三、一六、一七、二三、乙第四号証及び証人西野早苗、同石田哲朗(第一、第二回)、同箕倉清宏の各証言、被告谷渕本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 一臣車両は、被告車両の後部左側面部に右ハンドルナツクルカバー先端部が接触した後、そのまま約一八・八メートル進行し一臣が乗つたままの状態で、アスフアルト路面に右側に横転した。しかし、転倒直後に一臣は自力で立ち上がり、被告谷渕に対し、頭は大丈夫だが手足が痛い旨述べた。本件事故後、一臣は、被告谷渕とともに、守口生野病院へ行つて診察を受け、左手根骨骨折(大菱形骨亀裂骨折)、右下肢擦過傷、右肘部擦過傷との診断されたが、そのときも一臣は手と足が痛いと述べたにとどまつた。守口生野病院で診察を受けた後、一臣は、被告谷渕とともに守口警察署に出頭し、事情聴取の後、一臣及び被告谷渕が立会いの上、本件事故現場で実況見分が行われた。

(二) 本件事故の翌日である八月四日、一臣は、朝食後しばらくして嘔吐し、家族に胃の調子が悪いと訴え、昼食も夜食もとらず胃薬を服用するなどしたが、夜遅くなつても事態が改善されず、更に吐き気を訴え、八月五日の午前〇時すぎになつて、家族に連れられて市立枚方市民病院に診察を受けに行つた。その際、一臣の意識ははつきりしており、脈拍、脈圧にも異常はなく、一臣は、担当した医師に、本件事故では、頭、胸、腹部は打撲していないと述べた。一臣は、八月五日の午前二時半ないし三時ころにいつたん自宅に戻つたが、一臣は歩くことができず車椅子に座つた状態であつた。その後まもなくして家族が一臣の呼吸が止まつていることに気付き、一臣は救急車によつて市立枚方市民病院に搬送されたが、同日午前四時三七分に同病院で一臣の死亡が確認された。同病院では、一臣の家族に対し、一臣の死亡は、同病院での診察時からは考えられない結果である、可能性としては交通事故の骨折に関連した肺塞栓(脂肪塞栓)ぐらいしか考えられないが、確かなことはいえないとの説明がされた。

(三) 一臣が死亡したため、本件事故については被告谷渕の業務上過失致死被疑事件として捜査が行われ、一臣の死体の司法解剖を担当した石田哲朗医師(以下「石田医師」という。)により、一臣の死因は、右頭部打撃に基づく脳機能傷害による嘔吐物の誤嚥による窒息死であるとの検案がされ、守口警察署に対し、石田医師の解剖所見として、一臣の右側側頭部に卵大の外傷性のクモ膜下出血があり、これが時間の経過とともに脳を圧迫し、運動能力が低下したため嘔吐物を吐き出す能力がなくなり嘔吐物が気管につまり窒息死したとの回答がされた。

(四) 石田医師は、平成三年八月五日、大阪簡易裁判所裁判官の発付した鑑定書分許可状に基づき、一臣の死体について死因等の鑑定の嘱託を受け、平成五年九月三〇日に鑑定を終了、平成六年一二月一日付けの鑑定書を作成した。右鑑定書によれば、(1)一臣の死体には、脳表面に、脳クモ膜下出血が、左頭頂葉上面から左前頭葉側面にかけて一個と、右前頭葉側面に一個、右頭頂葉から右側頭葉にかけての側面に一個あり、肺臓の腔内に脂肪滴の出現が著名に認められ、細小血管がかなり多数認められた、(2)大脳頭頂葉あたりでは、数は非常に少ないけれども、白質内血管のあるものでその腔を埋め尽くすほどに著名な脂肪滴の出現が認められ、このような血管内への脂肪滴の出現は心臓・腎臓などには見出されなかつた、(3)脳脂肪塞栓が認められること、一臣には骨折が認められ、事故後三日位経過していること、死亡が急激に起こつていることから、一臣の死因を脳脂肪塞栓症とするのが最も適切な根拠となる、とされている。なお、石田医師は、右鑑定書において、肋骨骨折に伴う脂肪塞栓発見の例は少数ながら報告があるが、手根骨によるものについては例を知らず、また、脂肪塞栓は普通灰白質に認められるもので、この点でも本例は少しく異例に属するかも知れないとの意見を述べ、また、肋骨骨折については心臓マツサージによつて起こつた可能性も充分考慮されるべきであるとしながらも、結局、一臣の死因は、肋骨あるいは手根骨(大菱形骨)の骨折に由来する脳脂肪塞栓症とするのが最も妥当であると考えるとした。

2  証人石田哲朗(第一回)は、解剖当時一臣の死因はよくわからなかつたが、脳の表面に軽いクモ膜下出血があつたため、警察から聞かれた際にはクモ膜下出血が原因と考えられると答えたが、それは推定にすぎず、最終的には、脳の脂肪塞栓症によつて死亡したと考えるのが最も妥当である。解剖の結果、一臣の左の肋骨四本に圧迫骨折と破裂骨折が起こつていたが、この骨折は、本件事故によつて生じたものであるか、一臣の心臓が停止した際に行われた心臓マツサージによつて生じたものであるのかは不明であり、脂肪塞栓の原因として考えられる絶対間違いないのは手根骨の骨折であると証言する。また、同証人(第二回)は、脳塞栓状態は通常灰白質に現れるのに一臣の場合は白質にもあり珍しいものであつた、一臣の脳塞栓状態は肺臓にもみられ、これを呼吸困難を来すし気管の中に胃の内容物を吸い込み窒息の可能性をも助長するものであるとして、一臣の死因は脂肪塞栓症であると考えるとも証言する。

3  そこで、一臣の死因について検討するに、甲第七号証によれば、一臣には、頭部被毛部、耳介背面上端の表皮剥奪や皮下出血があつたことが認められるところ、甲第四号証の一二、二三によれば、一臣のヘルメツト上部に黄色の塗装が付着し、右側頭部に擦過痕があつたこと、被告谷渕は、警察の取調べに対し、一臣は顔の右側を打つたと話していたと供述していることが認められ、これによると、一臣の右傷害は本件事故の際に発生したものであると考えるのが自然であるが、証人箕倉清宏が、外傷性の脳動脈瘤が出ることはあるが、珍しく、しかも、脳が揺れるような外傷がなければ起こりにくいうえ、その場合でも外傷直後に強い意識障害がみられたり、直後からクモ膜下出血を起こしていたりしているはずであると証言していること、証人石田哲朗(第一回)が本件事故によつて、クモ膜下出血が起こる程度の外傷が脳に加わつたことは事実であるが、クモ膜下出血が一臣の死因になつているとは考えにくいと証言していることに照らすと、これらの傷害が一臣の死亡の直後、間接の原因となつたものとは認められない。

したがつて、一臣の死因として考えられるのは、脳脂肪塞栓症もしくは脂肪塞栓症ということになるが、証人箕倉清宏が、大腿骨や太い長管骨などの大きな骨折かあれば脂肪塞栓が起こる可能性はあるが、それ自体珍しいものであり、まして小さな骨折で脂肪塞栓が起こるとは考えにくいし、また、腹痛、食欲不振、吐き気、嘔吐は、脂肪塞栓の症状ではないと証言していることに加え、証人石田哲朗も、手根骨の骨折による脂肪塞栓症を起こした例というのは聞いたことがないが、脂肪塞栓が起こつている以上、医学的にはこれを結び付けるより仕方がない(第一回)、脂肪塞栓症は、体のいずれかの部位に強力な外力がかかつたことによつて組織が破錠し、それによつて生じたとしか考えられない(第二回)と証言しているにとどまることに照らすと、なお、一臣の死因を特定することは困難であるというほかない。また、仮に、脳脂肪塞栓症もしくは脂肪塞栓を一臣の死因と考えるにしても、一臣の肋骨骨折が一臣の心停止後に行われた心臓マツサージによつて生じた可能性が高いことからすれば、脂肪塞栓状態を招く原因となつたのは手根骨の骨折であると考えざるをえないところ、そうすると、一臣が本件事故によつて受傷し死に至つた程度は、医学的に見て極めて稀少な事例であつたといわざるをえない。

4  以上によると、一臣が本件事故の約四六時間後に死亡しており、本件事故以外に一臣に死亡するような原因があつたことを窺わせる証拠は見当たらないことを考慮しても、クモ膜下出血によるものではないという以外には一臣の死因が明らかにできない以上、本件事故と一臣の死亡との間に条件関係を認めることは困難であるというほかない。また、仮に、一臣が手根骨の骨折に起因する脳脂肪塞栓症もしくは脂肪塞栓症によつて死亡したものであるとしても、そのような傷害が原因で被害者が死亡することは加害者には通常予想できるものではなく、損害の公平な分担という見地からいつて、本件事故と一臣の死亡との間には相当因果関係を認めることはできないというべきである。

三  そうすると、一臣が本件事故によつて死亡したものであることを前提とする原告の請求は、その他の点について判断するまでもなく理由がない。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 濱口浩)

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